2008年05月04日
1975年第47回選抜高校野球/豊見城vs習志野
[豊見城vs習志野:習志野を2安打完封に抑えた豊見城の赤嶺賢勇投手]
今日から不定期連載でプレイバック甲子園シリーズをお送りします。
▽プレイバック甲子園.1
第47回選抜高校野球大会
昭和50年3月28日:阪神甲子園球場
▽1回戦
習志野 000 000 000 - 0
豊見城 001 110 00x - 3
(習)小川 - 神子
(豊)赤嶺 - 浜川
本塁打=平良(豊
二塁打=当間、仲田、仲里(豊
小川:08回 打者32人 被安打10 奪三振07 与四死球03 自責点02
赤嶺:09回 打者31人 被安打02 奪三振10 与四死球03 自責点00
盗塁:仲里(豊、小林重(習/ 暴投:小川(習/ 失策:豊見城0、習志野1
残塁:豊見城5、習志野6/ 犠打:豊見城0、習志野2
審判員:高橋、元橋、磯野、本郷
試合開始:13時49分 試合終了:16時10分 試合時間:2時間21分
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初陣豊見城、優勝候補の習志野を完封で下す!
昭和50年春のセンバツで甲子園に初登場した豊見城高校。 若き栽弘義氏率いる(栽氏は当
時部長で監督は当時高校生の亀谷興勝氏だったが、 実際指揮を執っていたのは栽氏)この
チームは、2年生エース赤嶺賢勇の好投と主砲・浜川太主将を中心とした強打でいきなりベス
ト8入り。 栽氏をして「これまで指導してきた中でベストチーム」と言わしめ、赤嶺氏も「あの年
は優勝を狙えるチームだった」 と言う昭和50年豊見城。 当時小学生だった私はこの豊見城
登場に大きな衝撃を受け、以来「沖縄高校野球」の虜になりました。
昭和49年の県秋季大会決勝でライバルの石川高校を5-3で下して第55回九州地区高校野
球大会へ初出場した豊見城は、準々決勝で浜川・仲里の本塁打等で都城を破り4強進出。準
決勝では赤嶺の力投もあり門司工業と延長の激闘を演じますが、惜しくも延長11回にサヨナ
ラスクイズを決められ1-2で敗れました。 しかしその健闘が認められ、 見事第47回センバツ
高校野球への出場を決めました。
迎えたセンバツの初戦。 相手は夏全国制覇の経験もある千葉県の強豪・習志野高校。 当時
の習志野はプロ注目で184㎝大型エース・小川淳司投手(中大-河合楽器-ヤクルト-日ハム)
を擁した強力なチームで、 同大会でも優勝候補の一角に挙げられていました。 一方、当時の
沖縄は日本復帰3年目で 高校野球においても全国最下位レベル。 そして甲子園に沖縄のチ
ームが出場すると判官びいきの拍手を受けるような状態でした。しかも、豊見城は聞いた事も
ない初出場校。誰の目にも習志野の勝利は疑いようがありません。
しかし蓋を開けてみると、序盤から豊見城打線が火を噴き、平良の本塁打等も飛び出し、習志
野を圧倒。 中盤5回で3点のリードを奪いました。 投げては、当時まだ1年生(新2年)の赤嶺
投手が、 素晴らしい快速球と切れ味抜群のカーブを武器に習志野打線をほとんどよせつけま
せん。 終わってみれば 赤嶺は、被安打わずか2で10奪三振の快投!打線も好投手の小川
投手に10安打を浴びせ、 終始圧倒した初陣豊見城が 見事に候補・習志野を下したのでした。
(ちなみに当時の習志野は、同年夏の甲子園では2度目の全国制覇を成し遂げました。)
昭和50年3月28日。この日は 後に沖縄野球界の最大の功労者となる栽弘義氏、そして伝説
の好投手赤嶺賢勇と、後に大旋風を何度も巻き起こし県民を沸かせた伝説のチーム豊見城が、
甲子園に初登場した記念すべき日となりました。 この日を境に沖縄高校野球は飛躍的な進歩
を遂げて行くのでした。
対習志野戦の豊見城試合出場メンバー
部長.栽弘義 / 監督.亀谷興勝
01.遊.当間 満 3打数1安打0打点1得点2三振1四球
02.左.比嘉 浩 3打数0安打0打点0得点1三振1四球
03.右.新垣吉勝 4打数1安打1打点0得点2三振0四球
04.捕.浜川 太 4打数2安打1打点0得点0三振0四球
05.一.砂川和男 3打数0安打0打点0得点0三振1四球
06.中.仲田博幸 3打数2安打0打点0得点0三振0四球
07.三.平良益男 3打数1安打1打点1得点0三振0四球
08.投.赤嶺賢勇 3打数0安打0打点0得点2三振0四球
09.二.仲里忠弘 3打数3安打0打点1得点0三振0四球
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昭和50年春のセンバツで甲子園に初登場した豊見城高校。 若き栽弘義氏率いる(栽氏は当
時部長で監督は当時高校生の亀谷興勝氏だったが、 実際指揮を執っていたのは栽氏)この
チームは、2年生エース赤嶺賢勇の好投と主砲・浜川太主将を中心とした強打でいきなりベス
ト8入り。 栽氏をして「これまで指導してきた中でベストチーム」と言わしめ、赤嶺氏も「あの年
は優勝を狙えるチームだった」 と言う昭和50年豊見城。 当時小学生だった私はこの豊見城
登場に大きな衝撃を受け、以来「沖縄高校野球」の虜になりました。
昭和49年の県秋季大会決勝でライバルの石川高校を5-3で下して第55回九州地区高校野
球大会へ初出場した豊見城は、準々決勝で浜川・仲里の本塁打等で都城を破り4強進出。準
決勝では赤嶺の力投もあり門司工業と延長の激闘を演じますが、惜しくも延長11回にサヨナ
ラスクイズを決められ1-2で敗れました。 しかしその健闘が認められ、 見事第47回センバツ
高校野球への出場を決めました。
迎えたセンバツの初戦。 相手は夏全国制覇の経験もある千葉県の強豪・習志野高校。 当時
の習志野はプロ注目で184㎝大型エース・小川淳司投手(中大-河合楽器-ヤクルト-日ハム)
を擁した強力なチームで、 同大会でも優勝候補の一角に挙げられていました。 一方、当時の
沖縄は日本復帰3年目で 高校野球においても全国最下位レベル。 そして甲子園に沖縄のチ
ームが出場すると判官びいきの拍手を受けるような状態でした。しかも、豊見城は聞いた事も
ない初出場校。誰の目にも習志野の勝利は疑いようがありません。
しかし蓋を開けてみると、序盤から豊見城打線が火を噴き、平良の本塁打等も飛び出し、習志
野を圧倒。 中盤5回で3点のリードを奪いました。 投げては、当時まだ1年生(新2年)の赤嶺
投手が、 素晴らしい快速球と切れ味抜群のカーブを武器に習志野打線をほとんどよせつけま
せん。 終わってみれば 赤嶺は、被安打わずか2で10奪三振の快投!打線も好投手の小川
投手に10安打を浴びせ、 終始圧倒した初陣豊見城が 見事に候補・習志野を下したのでした。
(ちなみに当時の習志野は、同年夏の甲子園では2度目の全国制覇を成し遂げました。)
昭和50年3月28日。この日は 後に沖縄野球界の最大の功労者となる栽弘義氏、そして伝説
の好投手赤嶺賢勇と、後に大旋風を何度も巻き起こし県民を沸かせた伝説のチーム豊見城が、
甲子園に初登場した記念すべき日となりました。 この日を境に沖縄高校野球は飛躍的な進歩
を遂げて行くのでした。
対習志野戦の豊見城試合出場メンバー
部長.栽弘義 / 監督.亀谷興勝
01.遊.当間 満 3打数1安打0打点1得点2三振1四球
02.左.比嘉 浩 3打数0安打0打点0得点1三振1四球
03.右.新垣吉勝 4打数1安打1打点0得点2三振0四球
04.捕.浜川 太 4打数2安打1打点0得点0三振0四球
05.一.砂川和男 3打数0安打0打点0得点0三振1四球
06.中.仲田博幸 3打数2安打0打点0得点0三振0四球
07.三.平良益男 3打数1安打1打点1得点0三振0四球
08.投.赤嶺賢勇 3打数0安打0打点0得点2三振0四球
09.二.仲里忠弘 3打数3安打0打点1得点0三振0四球
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Posted by neogaia at 05:30
│プレイバック甲子園
この記事へのコメント
ネオ・オキスタさん、お久しぶりです。
以前に、この1975年ごろの豊見城についてコメントしたM・Kです。
私は、ネオ・オキスタさんより、もう少し上の年代で当時は中学生でしたが、私にとっての沖縄野球の原点にあるのは、やはり75年選抜の「豊見城旋風」ですね。
ネオ・オキスタさんが、書かれていることとまったく同じ感想を持っていまして、何度もこの試合のことを今でもよく思い出します。
当時の監督の亀谷さんは、その後、改姓されたようなのですが、ご存知ですか? 沖水の甲子園準優勝のころでしたか、何十年ぶりかに亀谷さんのコメントが新聞に載っていて、名字が変わっていたのを微かに覚えています。
たしか、琉銀に就職されたように記憶しておりますが。
浜川さんは今でも「早朝野球」で頑張っておられるようですね。
赤嶺さん以外は全員、沖縄におられるとも聞きました。
これからも、このプレイバックシリーズを楽しみにしています。
それから、一つお聞きしたいのですが、招待野球の弟1回から試合結果が載っている新聞のコピーをこのサイトで見た覚えがあるのですが、もう一度見たくて探してみたところ、どうしても見つかりません。
もう削除されてしまったのでしょうか? たしか昨年か一昨年あたりが沖縄県高校野球連盟発足の節目の年で、その記念の年にあたるため新聞に掲載されたものだと思います。
もし残っていましたら、見たいのですが、よろしくお願いいたします。
以前に、この1975年ごろの豊見城についてコメントしたM・Kです。
私は、ネオ・オキスタさんより、もう少し上の年代で当時は中学生でしたが、私にとっての沖縄野球の原点にあるのは、やはり75年選抜の「豊見城旋風」ですね。
ネオ・オキスタさんが、書かれていることとまったく同じ感想を持っていまして、何度もこの試合のことを今でもよく思い出します。
当時の監督の亀谷さんは、その後、改姓されたようなのですが、ご存知ですか? 沖水の甲子園準優勝のころでしたか、何十年ぶりかに亀谷さんのコメントが新聞に載っていて、名字が変わっていたのを微かに覚えています。
たしか、琉銀に就職されたように記憶しておりますが。
浜川さんは今でも「早朝野球」で頑張っておられるようですね。
赤嶺さん以外は全員、沖縄におられるとも聞きました。
これからも、このプレイバックシリーズを楽しみにしています。
それから、一つお聞きしたいのですが、招待野球の弟1回から試合結果が載っている新聞のコピーをこのサイトで見た覚えがあるのですが、もう一度見たくて探してみたところ、どうしても見つかりません。
もう削除されてしまったのでしょうか? たしか昨年か一昨年あたりが沖縄県高校野球連盟発足の節目の年で、その記念の年にあたるため新聞に掲載されたものだと思います。
もし残っていましたら、見たいのですが、よろしくお願いいたします。
Posted by m at 2008年05月04日 13:16
懐かしいですね、あの頃は沖縄は甲子園に出れば初戦敗退が続いて悔しい思いばかりでしたが、豊見城が出て来て嬉しいかった、感動した、それが現在では沖縄県でベスト4ぐらいに入るチームは何処でも甲子園で優勝できる力を持っている。嬉しいですね、とにかくあの頃が懐かしくもあり 現在が誇りに思う今日 この頃です。
Posted by おじさん at 2008年05月05日 01:10
neogaiaさん!記憶に聞いた事あります もしかして・・neogaiaさん年上かも知れません !
高校は強化大会からリーグになってますね
1年生ですが、出番ありました ・・ 勝ちましたが打てませんでした 悔しがって素振りしてますが、勉強は ?と いささか心配です
高校は強化大会からリーグになってますね
1年生ですが、出番ありました ・・ 勝ちましたが打てませんでした 悔しがって素振りしてますが、勉強は ?と いささか心配です
Posted by 未定 at 2008年05月05日 12:50
>M・Kさん
ご無沙汰しています。
久しぶりのコメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
M・Kさんのコメントはとても印象に残っています。
多くの方々が当時の豊見城を沖縄野球の原点として捉えているように、
あの頃の熱狂ぶりは、沖尚センバツ優勝以上だったのかも知れません。
1975年当時の高校生監督・亀谷さんは、改姓されたのは知ってます。
去年、栽監督が逝去された時に、テレビの特番に出ておられました。
浜川さんの「早朝野球」は素晴らしい発展を遂げられていますね。
去った日曜深夜の沖縄番組にも出ておられ、元気なお顔を拝見しました。
そして赤嶺さん以外は全員、沖縄におられるのですね。
このプレイバックシリーズは、これからも不定期で連載致します。
1975年春を皮切りに年を追って順次掲載しますので、
石川高校を挟んで暫く豊見城シリーズが続く予定です。
>招待野球の弟1回から試合結果が載っている新聞のコピーをこ
>のサイトで見た覚えがあるのですが、
>もう一度見たくて探してみたところ、どうしても見つかりません。
ひょっとして私の所ではなく他サイトで見たのかもしれません。
(例えば@北谷球場さんのサイトとか)
あの招待試合の試合結果は、去年の招待試合の時に配布されました。
私も以下のページにアップしましたのでご覧になって下さい。
http://neogaia.client.jp/shotaiyakyu1.htm
改めまして、返事が遅くなりました事を深くお詫び申し上げます。
>おじさんさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
沖縄弱小時代の豊見城登場は、本当に嬉しくて感動しましたね。
今は沖縄の上位校の実力は競っており、どんな実力校でも、
4強どころか8強に入るのも至難の業だと言えるでしょう。
そして、そのいずれもが甲子園で活躍出来る力を持っています。
沖縄代表が夏の全国制覇を果たす日は、そう遠くないでしょう。
仰る通り、あの頃を懐かしく想い、現在を誇りに思います!!
>未定さん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
未定さん、記憶にあるのですか?
もしかしなくても、私の方が年上ですよ(笑
息子さん、1年生で早くも出番があったのですか?
打てなくても、試合に出場した事が素晴らしいです!
悔しがって素振りを頑張るのは、なお素晴らしいです!
勉強は・・・?それより野球が大事でしょう(笑
いや、冗談ですが、心配しなくてもきっと大丈夫ですヨ!
ご無沙汰しています。
久しぶりのコメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
M・Kさんのコメントはとても印象に残っています。
多くの方々が当時の豊見城を沖縄野球の原点として捉えているように、
あの頃の熱狂ぶりは、沖尚センバツ優勝以上だったのかも知れません。
1975年当時の高校生監督・亀谷さんは、改姓されたのは知ってます。
去年、栽監督が逝去された時に、テレビの特番に出ておられました。
浜川さんの「早朝野球」は素晴らしい発展を遂げられていますね。
去った日曜深夜の沖縄番組にも出ておられ、元気なお顔を拝見しました。
そして赤嶺さん以外は全員、沖縄におられるのですね。
このプレイバックシリーズは、これからも不定期で連載致します。
1975年春を皮切りに年を追って順次掲載しますので、
石川高校を挟んで暫く豊見城シリーズが続く予定です。
>招待野球の弟1回から試合結果が載っている新聞のコピーをこ
>のサイトで見た覚えがあるのですが、
>もう一度見たくて探してみたところ、どうしても見つかりません。
ひょっとして私の所ではなく他サイトで見たのかもしれません。
(例えば@北谷球場さんのサイトとか)
あの招待試合の試合結果は、去年の招待試合の時に配布されました。
私も以下のページにアップしましたのでご覧になって下さい。
http://neogaia.client.jp/shotaiyakyu1.htm
改めまして、返事が遅くなりました事を深くお詫び申し上げます。
>おじさんさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
沖縄弱小時代の豊見城登場は、本当に嬉しくて感動しましたね。
今は沖縄の上位校の実力は競っており、どんな実力校でも、
4強どころか8強に入るのも至難の業だと言えるでしょう。
そして、そのいずれもが甲子園で活躍出来る力を持っています。
沖縄代表が夏の全国制覇を果たす日は、そう遠くないでしょう。
仰る通り、あの頃を懐かしく想い、現在を誇りに思います!!
>未定さん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
未定さん、記憶にあるのですか?
もしかしなくても、私の方が年上ですよ(笑
息子さん、1年生で早くも出番があったのですか?
打てなくても、試合に出場した事が素晴らしいです!
悔しがって素振りを頑張るのは、なお素晴らしいです!
勉強は・・・?それより野球が大事でしょう(笑
いや、冗談ですが、心配しなくてもきっと大丈夫ですヨ!
Posted by neogaia at 2008年05月13日 23:14