2008年05月07日

1975年第47回選抜高校野球/豊見城vs東海大相模


[豊見城vs東海大相模 :先制に沸く豊見城ベンチで采配を揮う、栽弘義氏]


▽プレイバック甲子園.3

第47回選抜高校野球大会

昭和50年4月4日:阪神甲子園球場

▽準々決勝

豊  見  城 000 000 100 - 1
東海大相模 000 000 002x- 2

(豊)赤嶺 - 浜川
(東)村中 - 山口

二塁打=津末(東

赤嶺:08回2/3 打者34人 被安打08 奪三振12 与四死球00 自責点02 
村中:09回    打者37人 被安打13 奪三振07 与四死球02 自責点01

盗塁:砂川(豊/ 失策:豊見城1、東海大相模0
併殺:東海大相模2
残塁:豊見城9、東海大相模6/ 犠打:豊見城0、東海大相模1

試合開始:8時00分 試合終了:10時13分 試合時間:2時間13分


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豊見城、9回裏2死無走者から東海大相模に無念の逆転サヨナラ負け・・・!

昭和50年春のセンバツに初登場して旋風を巻き起こした豊見城高校。中でもこの大会の準
々決勝・対東海大相模戦は もはや伝説の試合とも呼べる名勝負です。 豊見城の名を全国
に轟かせ、赤嶺賢勇をスターダムにのし上げて、 そして栽弘義という男の名を世に知らしめ
たのは、間違い無くこの試合だったと言えるでしょう。 特に 我々の世代の沖縄の人間にとっ
ては、この試合こそが沖縄高校野球の原点であり、 「甲子園」と聞いて真っ先に思い浮かぶ
のは「豊見城vs東海大相模」と言っても過言ではありません。

この大会での東海大相模は優勝候補の最右翼で、 神奈川の強豪・東海大相模の輝かしい
球史の中でも、原貢監督率いるこの年のチームこそ人気・実力供に歴代最強で最高のチー
ムだったと思います。とにかくこの東海大相模の騒がれ方は半端では無く、チームの中心は
原監督の息子で2年生の三塁手・原辰徳 (東海大-巨人-現・巨人監督)。 他にも2年生のス
ラッガー津末英明(東海大-日本ハム-巨人)や 2年生エースの左腕・村中秀人(東海大-プリ
ンスホテル-現・東海大甲府監督)ら蒼々たる面子を擁し、 高校球界屈指のスター軍団と評され
ていました。 特に、前年夏の甲子園で1年生ながら 鹿児島実業の定岡正二らと激闘を演じ
て高校野球界屈指のアイドルとなった原辰徳は、 その甘いマスクとスマートなスタイルに抜
群の長打力で驚異的な人気を博し、 当時の高校野球界は大スター・原辰徳を中心に回って
いると言われる程、圧倒的な存在感を示していました。

さて、その超人気校に我等が沖縄・豊見城高校が挑んだ訳ですが、この試合で豊見城の2
年生エース赤嶺賢勇が 最高の投球を演じます。 躍動感に満ちたバネのあるフォームから
繰り出されるストレートは低めで抜群の伸びを見せ、切れ味鋭いカーブも冴え渡り、 何より
も見事な制球力が 見る者を唸らせます。 そして 大型スター軍団・東海大相模の強打者達
のバットはことごとく空を切り、三振の山を築いて行きました。一方の豊見城打線は、初回か
ら先頭の当間満がいきなりヒットを放ち好投手の村中に襲い掛かると、その後も豊見城は安
打を重ね再三塁上を賑わします。 しかし村中投手も流石の投球で要所要所を抑え、中盤ま
で0-0の緊迫した投手戦が続きました。 均衡が破れたのは7回。この回の豊見城は、赤嶺・
当間・比嘉・新垣と4安打を集中して 待望の先取点を挙げます。 この日の赤嶺の状態から
して、この1点は充分過ぎる位大きな1点に思えました。赤嶺は8回に1死13塁の危機を迎
えましたが見事切り抜け、 この回までに東海大相模を散発の4安打・奪三振11という 快調
な投球を続けていました。そして迎えた運命の9回裏。
この回は先頭の森を投ゴロで仕留めた後、 続く原辰徳から2個目の三振を奪って2死。 奪
三振も合計12を数えました。 いよいよあと1人で 優勝候補筆頭の東海大相模をシャットア
ウト出来ます。 迎える打者は4番の津末。当時の東海大相模では、この津末が原辰徳より
も凄い打者だと恐れられていました。 その津末、 赤嶺の渾身のストレートを振り抜くと打球
は右翼線を破り2ベース。 更に次の佐藤勉も中前に弾き返し、 遂に 東海大相模は 9回裏
2死無走者から同点に追い付きました。そこから赤嶺の球威が目に見えるように落ち始めま
す。 次打者は途中から左翼の守備に就いた網島。 前打席でも安打を放っていた網島はこ
こでもしぶとく三遊間を破ります。 そして続く7番の山口の打球は 一塁後方ヘふわりと上が
った小フライ。誰もが赤嶺が完全に打ち取ったかと思いました。
しかし 打球はテキサス気味に微妙な場所に落ちて行き、 懸命に伸ばした一塁手・砂川のミ
ットからこぼれます。逆転の走者・佐藤勉は歓喜してサヨナラのホームイン・・・・ 4番の津末
から始まった7番・山口までの4連打は、 見ていて一瞬に感じた程、 信じ難い出来事でした。

あっと言う間の土壇場での逆転劇・・・・試合終了後は多くの沖縄県民が言葉を失った事でし
ょう。しかし、それはすぐに賞賛の拍手に変わりました。この試合で沖縄県民のみならず、ど
れだけの高校野球ファンが感動に胸を打たれた事でしょうか。この日、悲劇のヒーロー赤嶺
賢勇は原辰徳と並ぶ甲子園のスターとなり、 沖縄野球少年の羨望を一身に受ける「沖縄の
星」となりました。そして大胆にして細心、勇猛果敢な豊見城の野球は沖縄県民に計り知れ
ない勇気を与え、春の甲子園に吹き荒れた豊見城旋風は、新しい時代の沖縄を全国に強烈
に示しました。沖縄高校野球史に燦然と輝く伝説の昭和50年・豊見城。まさしく春の甲子園
で時代の扉を開いたチームです。勿論、その中心には若き日の血気盛んな栽弘義という男
がいました。その後数十年に渡り沖縄県民は栽弘義氏の野球に希望を抱き、感動と興奮に
酔いしれるのでした。


対東海大相模戦の豊見城試合出場メンバー
部長.栽弘義 / 監督.亀谷興勝
01.遊.当間    満 4打数3安打0打点0得点0三振1四球
02.左.比嘉    浩 4打数1安打0打点0得点1三振0四球
03.右.新垣  吉勝 4打数3安打1打点0得点1三振0四球
04.捕.浜川    太 4打数2安打0打点0得点0三振0四球
05.一.砂川  和男 4打数0安打0打点0得点2三振0四球
06.中.仲田  博幸 4打数1安打0打点0得点0三振0四球
07.三.伊舎堂守恭 4打数1安打0打点0得点1三振0四球
08.投.赤嶺  賢勇 4打数1安打0打点1得点1三振0四球
09.二.仲里  忠弘 3打数1安打0打点0得点1三振1四球


※ この年のセンバツは、強打者の杉村繁(ヤクルト)や山岡利則投手(近大-大昭和製紙)ら
  を擁した高知が優勝。東海大相模との決勝は延長13回に及ぶ激闘となった。


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1975年第47回選抜高校野球/豊見城vs日大山形
http://neogaia.ti-da.net/e2104979.html

1975年第47回選抜高校野球/豊見城vs習志野
http://neogaia.ti-da.net/e2104385.html


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この記事へのコメント
この試合は、ホント鮮明に記憶に残っています。
原監督の顔を見るたびに思い出しますね(^^
Posted by oroku at 2008年05月08日 08:50
私が初めて高校野球を観た試合でした。本当に残念な結果でした。赤嶺先輩は 上ノ山中の近所で チラ見しに行きました。
tvで相手の応援団のメロディーの間の
シュプレキ コール「オキナワ 帰れ・オー!」のセリフがとてもいやで 悲しくて 原親子を逆恨みした事を今でも はっきり覚えています。
Posted by uplandupland at 2008年05月09日 15:27
>orokuさん


こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。

ホント、原監督の顔を見るたびに思い出しますよね(^^
懐かしいながらも、鮮明な記憶ですネ!


>uplandさん


初めまして。
拙ブログを運営しているneogaiaです。
コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。

豊見城のこの試合は、本当に残念な結果でしたね。
uplandさんは、赤嶺さんの上ノ山中の後輩なのですか?
「チラ見しに行きました」というのが可笑しいです(笑


>「オキナワ帰れ・オー!」のセリフがとてもいやで悲しくて 
>原親子を逆恨みした事を今でも はっきり覚えています。

そんな事があったのですか?
当時、私も含め周りの人間は誰も気付きませんでした。
ただ当時の高校野球の応援というのは、全体的に何処も、
今では考えられないくらい相手を口汚く罵ってました(笑
それでも今となっては、懐かしい良き思い出ですね。
「原親子を逆恨み」というのも何だか可愛いですよネ(笑

uplandさん私が初めて高校野球を観た試合は、
当時の沖縄県民にとっては忘れられない名勝負です。
今後とも沖縄高校野球を応援して下さいね。

そして今後とも拙ブログを宜しくお願い申しあげます。
Posted by neogaianeogaia at 2008年05月13日 23:16
懐かしいですね。東海大相模×豊見城。。。
当時、まだ僕は小学校低学年ということもあり、あまり覚えていないのですが、サヨナラ負けを喫したシーンだけは忘れられません。唖然、呆然となってうなだれていた赤嶺投手。。。あと一人で大金星。勝っていれば高校野球の歴史が変わっていたと思います。

栽監督がついに全国制覇の悲願を叶えられないまま、生涯を閉じられました。沖縄の夢は、沖縄尚学の選抜制覇(2回)で花開きましたね。初優勝の日、僕はテレビの前で号泣しました。本当に長かった‥。奇しくも入場行進曲が沖縄出身・Kiroroの『長い間』(タイトルもバッチグー)。。。さらに今春も泣かせてもらいましたよ☆
Posted by 大阪のハイサイ ホームラン王☆ at 2008年08月26日 03:22