2008年05月21日

栽 弘義監督を偲ぶ会




元沖縄水産高校野球部の栽弘義監督を偲ぶ 「故栽弘義先生を偲ぶ会」 が20日、栽監督の
教え子達により那覇市の沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハで開かれ、 教え子や知人、 関
係者ら約五百五十人が訪れました。
夕方19時から行われた偲ぶ会は、 野球場のウグイス嬢のアナウンス風に 開始が告げられ、
野球の試合開始を告げるサイレン音で始まるという粋な計らい。 場内では「栄冠は君に輝く」
や沖水・豊見城・小禄の校歌が流れるなど、 高校野球に尽力を尽くした氏を悼むべく 爽やか
な雰囲気の中で会は執り行われました。


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18:30の受付開始前から多くの教え子・知人・関係者が訪れた。




「大胆細心」の野球は多くの沖縄県民に誇りと自信を与えた。




栽監督縁の貴重な展示品の数々に、熱心に見入る来場の皆様。




小禄・豊見城・沖縄水産3校OB会長によるOB代表挨拶が行われた。




初めて高校教諭として赴任した小禄高監督時代のユニフォーム。




元沖縄県バレーボール協会副会長砂川日出夫氏による来賓挨拶。




会場に設けられた大型スクリーンでは栽監督のスライドショー。




甲子園で栄光の時代を切り開いた豊見城高時代のユニフォーム。




九州監督会会長・鳥栖高校野球部・平野國隆監督による来賓挨拶。




約550人の多くの来場者が大型スクリーンの下、栽監督を偲んだ。




昭和55年に異動した当時の沖縄水産高時代初期のユニフォーム。




献杯の音頭を執った、沖縄県高校野球連盟前会長の狩俣幸夫氏。




壇上に掲げられた栽監督の肖像画に向かい献杯する来場の皆様。




次第に実力を付け始めた昭和57年頃の沖水時代のユニフォーム。




1998年卒沖水野球部OBで歌手の池田卓さんは、恩師の側で熱唱。




大野倫氏を初めとする甲子園を沸かせたOB達も多数詰め掛けた。




甲子園に初登場した昭和59年前後頃の沖縄水産のユニフォーム。




OB逸話。新垣隆氏(小禄)平山司氏(豊見城)平良幸一氏(沖水)。




来場者で賑わいを見せた、かりゆしアーバンリゾートナハの会場。




裾に自筆名が書かれた、甲子園でもお馴染みの沖水ユニフォーム。




左から高良雅秀小禄監督、照屋拓巳豊見城監督、宜保政則沖水監督。




豊見城野球部OB会長玉城常二氏による三本締めで会を締め括った。




栽野球の真髄が込められた、生前の栽監督自筆による野球ノート。




夢と感動を有難うございました。心からご冥福をお祈り致します。


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栽監督偲び550人 教え子ら思い出語る

夏の甲子園で沖縄水産高校野球部を二年連続準優勝に導くなど、沖縄の高校野球の発展
に尽力した故・栽弘義前沖縄水産高校野球部監督を偲ぼうと、 指導を受けた小禄、豊見城、
沖縄水産の 三校の野球部OB会が二十日夜、 那覇市の沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナ
ハで「故栽弘義先生を偲ぶ会」を開いた。 教え子や知人ら約五百五十人が参加し、栽監督
の生い立ちを紹介するスライドショーの上映などで栽監督を偲んだ。
偲ぶ会は午後七時、野球の試合開始を告げるサイレン音で始まり、黙とうと献杯をささげた。
砂川日出夫元バレーボール協会副会長らは栽監督ゆかりのエピソードを披露。 豊見城高
校OBの平山司さんは 「栽先生はアイデアマンで、 きつい練習を考えるのがうまかった」 と
笑いを誘った。
栽監督の教え子で、 元巨人選手の大野倫さんは「甲子園では痛めたひじを付きっきりでマ
ッサージしてくれた」と思い出を語った。現沖縄水産高野球部監督の宜保政則さんは「十年
ぶりに沖水野球部を甲子園に連れて行きたい」と話した。

[2008年5月21日付/琉球新報朝刊より抜粋]


「栽野球」継承誓う しのぶ会

昨年5月、 肺炎で亡くなった 沖縄水産高校野球部前監督の栽弘義氏をしのぶ会が 20日、
那覇市内で開かれた。 高校野球関係者や教え子ら550人が、甲子園通算29勝を挙げた
名将の足跡を振り返り、「栽野球」を懐かしんだ。
栽氏が指揮を執った小禄、豊見城、沖水の野球部OB会などが開催。プレーボールを告げ
るサイレンで幕を開け、壇上の肖像画に向かい献杯をささげた。
「大胆細心」を掲げ、豊見城を甲子園8強、沖水を2年連続夏準優勝に導いた栽氏。1978
年の夏に8強入りした豊見城OBの平山司さん(47)は 「『怒ると目が銀色に変わる』 という
話は比喩(ひゆ)ではなく、本当だった」と紹介。 「相手の戦術を分かっていた。 ベンチにい
るだけで戦う自信になった」と振り返った。
「おやじの偉大さをあらためて感じた」 という宜保政則沖水監督は、 夏の県予選に向け「栽
監督のユニホームを再び甲子園に持っていきたい」と健闘を誓った。
3校のOB会は、栽監督の記念碑建立を予定している。

[2008年5月21日付/沖縄タイムス朝刊より抜粋]



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Posted by neogaia at 23:56 │名将・栽弘義






この記事へのコメント
こんばんは。
『栽 弘義監督を偲ぶ会』
『夕方19時から行われた偲ぶ会は、 野球場のウグイス嬢のアナウンス風に 開始が告げられ、野球の試合開始を告げるサイレン音で始まるという粋な計らい。 場内では「栄冠は君に輝く」や沖水・豊見城・小禄の校歌が流れるなど、 高校野球に尽力を尽くした氏を悼むべく 爽やかな雰囲気の中で会は執り行われました。』
この記事を読んだだけで、鳥肌がたち、目頭が熱くなりました。私の知らない歴史あるユニフォーム。写真やノート。…ただただ見入ってしまいました。
有り難うございました。
Posted by はなりん at 2008年05月25日 01:16
>はなりんさん


こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
『栽 弘義監督を偲ぶ会』は、とても良かったです。


>この記事を読んだだけで、鳥肌がたち、
>目頭が熱くなりました。

ありがとうございます。
あの場の雰囲気がはなりんさんにも伝わったと思うと、
非常に嬉しく思いますし、感無量です。


>私の知らない歴史あるユニフォーム。写真やノート。
>…ただただ見入ってしまいました。

私も、あの場で、ただただ見入ってしましました。
栽監督は本当に偉大だったと、改めて思わされました。
何度も言うように、栽監督の沖縄高校野球に対する
功績は、計り知れないものがあります。
決して大げさでは無く、沖縄高校野球の進歩を、
50年は早めたと思われます。

栽監督の残されてきた栄光の足跡を、
私達は何時までも語り継いで行かねばなりませんね。
Posted by neogaia at 2008年05月26日 22:36
今年から沖水野球部にお世話になっています息子の父です。
 裁氏の記事をみていて、宜保監督の決意のところで涙がでました。
是非念願がかなうことを期待し精一杯バックアップしたいです。
Posted by IPPAI at 2008年06月09日 11:53
>IPPAIさん


はじめまして。
拙ブログを運営しているneogaiaです。
コメントありがとうございました。

そうですか、息子さんは今年から沖水の野球部員なんですね。
沖水は優秀な選手が多くて、監督の宜保さんの情熱も深く、
OB達の支えも強いですから、近いうちに名門復活すると思います。
この夏も幸先良いスタートを切りましたし、とても期待しています。

是非お父さんも息子さんを、そしてチームを精一杯バックアップして、
必ずや甲子園出場を果たして下さい。そして栽監督が最後まで望んだ、
夏の甲子園優勝の夢を必ず達成すべく、息子さんを応援して下さい。
私もあの沖水が甲子園でまた大暴れする日を楽しみにしています!!
Posted by neogaianeogaia at 2008年06月18日 23:10