2008年05月08日
名将を偲ぶ

あの豊見城が甲子園に初めて登場した1975年春から33年。
今年の選抜に出場した沖縄尚学は、2度目の紫紺の大旗を ここ沖縄の地に持ち帰りました。
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これまで沖縄の高校野球チームが甲子園で演じたドラマは数多くあります。
豊見城時代から興南時代、 沖縄水産時代を経て、 数多のチームが甲子園で激闘を演じて
来ました。 そしてその全てのチームが、栽弘義氏と深く関わりながら成長を遂げて来ました。
昭和50年夏は豊見城のライバル石川。 昭和54年、 豊見城時代に終止符を打った中部工。
豊見城を目標に強くなり、 沖縄水産と切磋琢磨を演じた比屋根吉伸氏率いる興南。 平成元
年夏には 栽氏の生涯の友人・安里嗣則氏率いる石川が甲子園出場を果たし、 県高野連に
て深い関わりを持った 比嘉順二氏率いる読谷は、 平成4年センバツで猛打を披露しました。
沖水黄金時代のライバル沖縄尚学は 渡久地政繁氏のもと平成4年夏に活躍し、 栽氏の元
でコーチとして名を馳せた神山昴氏率いる那覇商業は、 平成6年春夏の甲子園に出場して
話題を呼びました。 宮古高校時代に王者・豊見城に沖縄頂上決戦で挑み続けた 盛根一美
監督は浦添商業を3度甲子園に導き、中でも平成9年夏は4強まで進出し大旋風を起こしま
した。 そして平成11年センバツでは、栽氏の教え子でもある金城孝夫監督率いる沖縄尚学
が、沖縄勢としては初めての甲子園優勝を遂に成し遂げました。
その後、 常に栽氏の野球を目標に精進を続けて来た若き指導者達が、 続々甲子園に登場。
那覇、宜野座、中部商、八重山商工と、いずれも優れたチームが大きな成果を挙げてきまし
た。 また平成17年春夏の甲子園に出場した沖縄尚学の角田篤敏監督は岡山の名門・関西
から来沖して晩年の栽氏の野球に新たな刺激を与えました。 そして今年平成20年センバツ
で2度目の優勝を果たした沖縄尚学の比嘉公也監督は、金城孝夫監督の教え子であり、栽
監督の孫のような関係に当たります。ここにも沖縄野球における栽氏の真っ当な血流が脈々
と流れ続けているのです。
名将が天に召されて1年が経ちました。沖縄高校野球は今、成熟の時期を迎えつつあります。
センバツ優勝の沖縄尚学のみならず、 栽氏の野球を目標に努力を続けた多くの指導者達が
素晴らしいチームを作り上げ、甲子園に出ても充分戦える学校も増えつつあり、 群雄割拠の
様相を呈しています。 現在、沖縄高校野球界は、 今は亡き名将が強く望んだ状況に近づい
て来ています。全体のレベルが底上げされた時に真に強いチームは育ち、そして大きな結果
を残します。 名将が常に求め続けた「夏の全国制覇」。その意思が叶う日は近づいています。
2008年5月8日。改めまして、偉大なる名将・栽弘義監督の冥福を心からお祈りいたします。
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豊見城時代から興南時代、 沖縄水産時代を経て、 数多のチームが甲子園で激闘を演じて
来ました。 そしてその全てのチームが、栽弘義氏と深く関わりながら成長を遂げて来ました。
昭和50年夏は豊見城のライバル石川。 昭和54年、 豊見城時代に終止符を打った中部工。
豊見城を目標に強くなり、 沖縄水産と切磋琢磨を演じた比屋根吉伸氏率いる興南。 平成元
年夏には 栽氏の生涯の友人・安里嗣則氏率いる石川が甲子園出場を果たし、 県高野連に
て深い関わりを持った 比嘉順二氏率いる読谷は、 平成4年センバツで猛打を披露しました。
沖水黄金時代のライバル沖縄尚学は 渡久地政繁氏のもと平成4年夏に活躍し、 栽氏の元
でコーチとして名を馳せた神山昴氏率いる那覇商業は、 平成6年春夏の甲子園に出場して
話題を呼びました。 宮古高校時代に王者・豊見城に沖縄頂上決戦で挑み続けた 盛根一美
監督は浦添商業を3度甲子園に導き、中でも平成9年夏は4強まで進出し大旋風を起こしま
した。 そして平成11年センバツでは、栽氏の教え子でもある金城孝夫監督率いる沖縄尚学
が、沖縄勢としては初めての甲子園優勝を遂に成し遂げました。
その後、 常に栽氏の野球を目標に精進を続けて来た若き指導者達が、 続々甲子園に登場。
那覇、宜野座、中部商、八重山商工と、いずれも優れたチームが大きな成果を挙げてきまし
た。 また平成17年春夏の甲子園に出場した沖縄尚学の角田篤敏監督は岡山の名門・関西
から来沖して晩年の栽氏の野球に新たな刺激を与えました。 そして今年平成20年センバツ
で2度目の優勝を果たした沖縄尚学の比嘉公也監督は、金城孝夫監督の教え子であり、栽
監督の孫のような関係に当たります。ここにも沖縄野球における栽氏の真っ当な血流が脈々
と流れ続けているのです。
名将が天に召されて1年が経ちました。沖縄高校野球は今、成熟の時期を迎えつつあります。
センバツ優勝の沖縄尚学のみならず、 栽氏の野球を目標に努力を続けた多くの指導者達が
素晴らしいチームを作り上げ、甲子園に出ても充分戦える学校も増えつつあり、 群雄割拠の
様相を呈しています。 現在、沖縄高校野球界は、 今は亡き名将が強く望んだ状況に近づい
て来ています。全体のレベルが底上げされた時に真に強いチームは育ち、そして大きな結果
を残します。 名将が常に求め続けた「夏の全国制覇」。その意思が叶う日は近づいています。
2008年5月8日。改めまして、偉大なる名将・栽弘義監督の冥福を心からお祈りいたします。
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Posted by neogaia at 06:00
│名将・栽弘義
この記事へのコメント
去年、中学卒業以来30年ぶりに
同級生に会いました。
豊見城高校野球部11期の宮城利勝です。
彼は現在、愛知県に住んでいますが
栽監督にお別れのため帰郷しました。
ネオ・オキスタの記事にも名前がありました。
「栽弘義監督の育てた選手達.3(豊見城時代の甲子園出場選手)」
同級生に会いました。
豊見城高校野球部11期の宮城利勝です。
彼は現在、愛知県に住んでいますが
栽監督にお別れのため帰郷しました。
ネオ・オキスタの記事にも名前がありました。
「栽弘義監督の育てた選手達.3(豊見城時代の甲子園出場選手)」
Posted by oroku at 2008年05月08日 09:06
お久しぶりです。 neogaiaさん !
豊見城高校旋風時代はまだ、小学の低学年でしたかね~ ?
neogaiaさんも同じく (笑)
小さいながらテレビで豊見城の活躍をみてた記憶があります。。
それが 今は 息子達がその夢の「甲子園」を目指して、頑張っている
のですから。。。
豊見城高校旋風時代はまだ、小学の低学年でしたかね~ ?
neogaiaさんも同じく (笑)
小さいながらテレビで豊見城の活躍をみてた記憶があります。。
それが 今は 息子達がその夢の「甲子園」を目指して、頑張っている
のですから。。。
Posted by toma* at 2008年05月08日 11:08
>neogaiaさん、こんばんは
私にとって沖縄=高校野球は、豊見城です。プレイバックでも取り上げていたセンバツでの対東海大相模戦はよく覚えています。赤嶺投手の力投は子供心に強く印象に残りました。また、その年の選手権大会で地元磐城がベスト8に進出したこともあり、高校野球にのめり込むキッカケになった年でした(苦笑)。栽監督のご冥福をお祈りするとともに、これからもneogaiaさんのご活躍を楽しみにしています。
私にとって沖縄=高校野球は、豊見城です。プレイバックでも取り上げていたセンバツでの対東海大相模戦はよく覚えています。赤嶺投手の力投は子供心に強く印象に残りました。また、その年の選手権大会で地元磐城がベスト8に進出したこともあり、高校野球にのめり込むキッカケになった年でした(苦笑)。栽監督のご冥福をお祈りするとともに、これからもneogaiaさんのご活躍を楽しみにしています。
Posted by カンタロウイッキ at 2008年05月08日 22:47
>orokuさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
宮城利勝選手は同級生なんですか?
それならorokuさんは私より・・・歳年上ですネ。
そうですか、栽監督のお別れに見えてたのですね。
宮城選手は1978年センバツでスタメン三塁手でしたね。
特に秋季県大会や九州大会で活躍されていました。
最後の夏沖縄決勝では、負傷退場の石嶺選手に代わり、
キャッチャーのマスクを被ったと思います。
今度お会いする機会がありましたら、
「ネオ・オキスタ」を宜しくお伝え下さい!
追伸:orokuさんのブログにもまたお伺いします。
>toma*さん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
そうですね~
豊見城高校旋風時代は私は小学の低学年でしたね~
そういう事にしておきます(笑
テレビで見た甲子園での豊見城ナインの姿は、
今でも鮮やかに蘇ります。本当に憧れでした。
私の息子は途中で止めましたが、
toma*さんの息子さんは今、「甲子園」を目指して、
一生懸命に白球を追いかけているんですよね!
昔を思うと何だか感慨深いものがありますね!!
さあ、夏本番は近づいています。
toma*さんも息子さんに負けずに頑張って下さい!
>カンタロウイッキさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
栽監督のご冥福を祈って頂き、
地元沖縄の高校野球ファンの1人として深く感謝申し上げます。
カンタロウイッキさんにとって沖縄=高校野球は豊見城であり、
尚且つ1975年夏の磐城ベスト8が高校野球にのめり込むキッカケだと
いう事は、私と同世代ですね(笑)。何だか嬉しく思います。
あの年の磐城は、私も覚えています。
1975年夏も、とても面白い大会でしたよね。
習志野・新居浜商・土佐・上尾・東海大相模・天理・早稲田実・
岡山東商・浜松商・日南・足利学園・松商学園・堀越・竜ヶ崎一・・・
子供心に興奮したあの夏が、今でも蘇ります。
さあ、あっという間に今年の夏もやって来ます。
カンタロウイッキさんのサイトを益々楽しみにしています!
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
宮城利勝選手は同級生なんですか?
それならorokuさんは私より・・・歳年上ですネ。
そうですか、栽監督のお別れに見えてたのですね。
宮城選手は1978年センバツでスタメン三塁手でしたね。
特に秋季県大会や九州大会で活躍されていました。
最後の夏沖縄決勝では、負傷退場の石嶺選手に代わり、
キャッチャーのマスクを被ったと思います。
今度お会いする機会がありましたら、
「ネオ・オキスタ」を宜しくお伝え下さい!
追伸:orokuさんのブログにもまたお伺いします。
>toma*さん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
そうですね~
豊見城高校旋風時代は私は小学の低学年でしたね~
そういう事にしておきます(笑
テレビで見た甲子園での豊見城ナインの姿は、
今でも鮮やかに蘇ります。本当に憧れでした。
私の息子は途中で止めましたが、
toma*さんの息子さんは今、「甲子園」を目指して、
一生懸命に白球を追いかけているんですよね!
昔を思うと何だか感慨深いものがありますね!!
さあ、夏本番は近づいています。
toma*さんも息子さんに負けずに頑張って下さい!
>カンタロウイッキさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
そして返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
栽監督のご冥福を祈って頂き、
地元沖縄の高校野球ファンの1人として深く感謝申し上げます。
カンタロウイッキさんにとって沖縄=高校野球は豊見城であり、
尚且つ1975年夏の磐城ベスト8が高校野球にのめり込むキッカケだと
いう事は、私と同世代ですね(笑)。何だか嬉しく思います。
あの年の磐城は、私も覚えています。
1975年夏も、とても面白い大会でしたよね。
習志野・新居浜商・土佐・上尾・東海大相模・天理・早稲田実・
岡山東商・浜松商・日南・足利学園・松商学園・堀越・竜ヶ崎一・・・
子供心に興奮したあの夏が、今でも蘇ります。
さあ、あっという間に今年の夏もやって来ます。
カンタロウイッキさんのサイトを益々楽しみにしています!
Posted by neogaia
at 2008年05月13日 23:18
