2007年05月16日
最期に 偉大なる名将へ

[沖縄水産高校グラウンド]
名将・栽弘義監督が逝去されてから7日が過ぎました。
沖縄では、球児達がまた夏の夢に向かって走り始めています。
闘将の志を受け、OKINAWAN BASEBALL はこれからも歩み続けます。
一週間に渡り故・栽弘義監督の軌跡を綴ってきましたが、
いくら書いても 書ききれない程の大いなる功績に 、改めて驚かされました。
身を削って 駆け抜けた激動の野球人生 。今はただ 安らかにお眠り下さい。
今まで多くの夢と希望と勇気を授けられてきた 沖縄野球ファンの1人として、
最期に心からの深い感謝の意を込めて、偉大なる名将へ 追悼を捧げます。
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Posted by neogaia at 01:16
│名将・栽弘義
この記事へのコメント
明日、栽監督の追悼番組が放送されるようです。
とり急ぎお知らせまで。
追悼“名将”栽弘義~大胆に、細心に~その足跡を辿る
5月17日(木) 15:53~16:49 琉球放送
とり急ぎお知らせまで。
追悼“名将”栽弘義~大胆に、細心に~その足跡を辿る
5月17日(木) 15:53~16:49 琉球放送
Posted by @北谷球場 at 2007年05月16日 22:12
>@北谷球場さん
お疲れさまです。
私は今、出張で石垣に来ています。
栽監督の追悼番組、見たいのですが見れそうにありません。
あとで内容等、教えて下さいね!
追伸:以前の話ですが、週間新潮のデニーの記事読みました!
お疲れさまです。
私は今、出張で石垣に来ています。
栽監督の追悼番組、見たいのですが見れそうにありません。
あとで内容等、教えて下さいね!
追伸:以前の話ですが、週間新潮のデニーの記事読みました!
Posted by neogaia at 2007年05月17日 12:44
栽監督
沖縄に大きな貢献をした方です。というより私の中では一番の貢献者ではと思っています。
栽監督は甲子園に豊見城で初出場しました
その時はあの赤嶺投手を擁し打線も強力でした。
あの時の印象は強烈でした。強豪を負かし栽監督のデビューでした。それまで沖縄の野球は強くなく、甲子園さえも行けない状態でした。
それから豊見城、沖縄水産を引きつれて何度となく甲子園へ出場し、夏連続準優勝など日本全国が沖縄水産を知ってるほど活躍しました。
沖縄県への観光客の増加もその栽野球のおかげと言っても過言ではないような気がします。
現在、沖縄の野球は全国でも上位レベルでまさにこれにも栽監督の影響だと思います。
栽監督さん感謝します。ありがとうございました。
沖縄に大きな貢献をした方です。というより私の中では一番の貢献者ではと思っています。
栽監督は甲子園に豊見城で初出場しました
その時はあの赤嶺投手を擁し打線も強力でした。
あの時の印象は強烈でした。強豪を負かし栽監督のデビューでした。それまで沖縄の野球は強くなく、甲子園さえも行けない状態でした。
それから豊見城、沖縄水産を引きつれて何度となく甲子園へ出場し、夏連続準優勝など日本全国が沖縄水産を知ってるほど活躍しました。
沖縄県への観光客の増加もその栽野球のおかげと言っても過言ではないような気がします。
現在、沖縄の野球は全国でも上位レベルでまさにこれにも栽監督の影響だと思います。
栽監督さん感謝します。ありがとうございました。
Posted by JYO at 2008年04月14日 11:48
>JYOさん
はじめまして。拙ブログを運営しているneogaiaです。
コメントありがとうございました。
そして、返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
故・栽監督の沖縄への貢献は計り知れないものがありますよね。
仰るとおり、それは野球という枠を超えてたような気がします。
昭和50年センバツでの赤嶺賢勇投手の習志野戦完封デビューは、
私にとっても非常に衝撃的で、個人的に野球にのめり込んだ
きっかけでもあります。
その後、豊見城時代・興南時代・沖水時代と来て、
現在の群雄割拠時代に発展しましたが、やはりあのセンバツでの
豊見城の戦いぶりは、最も忘れられない出来事です。
早いもので、やがて一周忌がやって来ます。
改めまして、故人のご冥福をお祈り致します。
そして、心からの感謝を申し上げます。
はじめまして。拙ブログを運営しているneogaiaです。
コメントありがとうございました。
そして、返信が遅れた事をお詫び申し上げます。
故・栽監督の沖縄への貢献は計り知れないものがありますよね。
仰るとおり、それは野球という枠を超えてたような気がします。
昭和50年センバツでの赤嶺賢勇投手の習志野戦完封デビューは、
私にとっても非常に衝撃的で、個人的に野球にのめり込んだ
きっかけでもあります。
その後、豊見城時代・興南時代・沖水時代と来て、
現在の群雄割拠時代に発展しましたが、やはりあのセンバツでの
豊見城の戦いぶりは、最も忘れられない出来事です。
早いもので、やがて一周忌がやって来ます。
改めまして、故人のご冥福をお祈り致します。
そして、心からの感謝を申し上げます。
Posted by neogaia at 2008年04月17日 00:38