2007年11月30日
惜別球人

[今年引退となった 中日・デニー友利投手。2007年3月 読谷球場にて。]
今シーズンオフ、 沖縄出身のプロ野球選手が引退しました。 中日・デニー友利投手、
横浜・佐久本昌広投手、 楽天・徳元敏投手、 ソフトバンク・稲嶺誉選手の4選手です。
これまでの数年間、我々ファンを沸かせてくれた4人の選手達に心から感謝致します。
------------------------------------------------------------------------
☆デニー友利(友利結)投手
1967年9月21日生
身長、体重:192cm、90kg
投打:右投右打
球歴:浦添市・浦添中-興南高-大洋/横浜-西武-横浜-レッドソックスAAA-中日
プロ入り年度、ドラフト順位:1987年、1986年ドラフト1位(横浜大洋ホエールズ)
1軍通算成績:399試合 18勝29敗30セーブ 420奪三振 投球回441.2 防御率3.89
月間MVP:1回(1998年7月)
オールスターゲーム出場:1回(1998年)
プロ在籍期間:21年
1986年のドラフト会議で興南高から横浜大洋ホエールズの1位指名を受けて、プロ野球
の世界に飛び込んだデニー。日米両名持つ彼の当時の登録名は日本名「友利結」でした。
あれから21年。 見目麗しかった美少年も、逞しく厳ついベテランの野球選手になりました。
そして今年遂に引退となりました。
思えば デニー投手のプロ野球人生は 波乱に満ちたものでした。 入団1年目の 終盤こそ
1軍で先発登板を果たしましたが、その後 8年間は泣かず飛ばずで2軍暮らし。一時は支
配下登録外の 「練習生」に降格された事もあったほどでした。 ところが1995年に登録名
を「デニー友利」に変えてから運気が変わります。 その年の10月6日の阪神戦で、プロ9
年目にしてようやく初勝利。そして翌7日の中日戦ではプロ初セーブを挙げました。
そして迎えた1997年、 トレードで西武に移籍してから デニー投手の野球人生は劇的に
変化します。 同じサイドスローの鹿取や潮崎の助言を受けて、潜在能力が開花。セットア
ッパーとして チームにとって 不可欠な存在となりました。 1997年と1998年のリーグ優
勝に大きく貢献したデニー投手は、1998年には オールスターにも出場を果たしました。
また 2002年にはチームの選手会長を務めるまでになりました。2002年のオフには 再
びトレードで古巣の横浜に復帰。 2005年には、 38歳の高齢ながら ボストン・レッドソッ
クスにマイナー契約で入団。 しかしメジャーには昇格出来ませんでした。日本に戻った2
006年には 落合監督の計らいで中日と契約、 中日中継ぎ陣の精神的支柱としても大き
な役割を果たしました。 残念ながら 今シーズンは背筋痛の影響等で、ほとんど2軍暮ら
しとなり、シーズン終了前に戦力外通告を受けました。
振り返れば プロのユニフォームに袖を通して実に21年。 タフな肉体と 精神力で、 40歳
近くなっても 150kmのストレートを投げていた デニー投手。 1軍通算成績は 399試合
に登板して 18勝29敗 30セーブ、 420奪三振、 防御率3.89。 一流と呼べるような 実
績こそ 残せませんでしたが、 沖縄県出身のプロ野球選手で デニー投手ほど 記憶に残
った選手は いないのかも知れません。 21年という選手期間も、 沖縄出身プロ野球選手
の中では最長です。
10月4日には、 落合監督の粋な計らいで、 ナゴヤドームの最終戦に サヨナラ登板もさ
せてもらいました。 誰からも愛された デニー投手。 波乱万丈ではありましたが、幸せな
野球人生だったのでは ないでしょうか? 今後は どういう人生を歩むのか 知りませんが、
デニーの次のステージにも注目して応援し続けて行きたいと思います。
中日・デニー友利投手(投稿日:2007/03/05)
http://neogaia.ti-da.net/e1386106.html
------------------------------------------------------------------------
☆佐久本昌広投手
1974年7月15日生
身長、体重:175cm、80kg
投打:左投左打
球歴:読谷村・古堅中-久留米工大付高(現:祐誠高)-大和銀行-ダイエー-阪神-横浜
プロ入り年度、ドラフト順位:1995年、1994年ドラフト4位(福岡ダイエーホークス)
1軍通算成績:183試合 19勝24敗4セーブ 222奪三振 投球回335 防御率4.67
プロ在籍期間:13年
佐久本投手は読谷の古堅中から福岡県の久留米工大付高(現:祐誠高)へ進学。久留米
工大付高の金城清忠監督は 沖縄からPL学園に進んだ経験を持ち、将来を見越してあえ
て野球留学を選んだ佐久本投手にとって、その存在は大きな影響を与えた事でしょう。そ
して社会人の大和銀行へ進んで、その素質が大きく開花します。大和銀行時代は日本生
命の補強選手として都市対抗野球に出場。 そして 20歳の1994年にドラフト4位で福岡
ダイエーホークスから指名され、プロの世界へ進みました。
ダイエーでは1年目の1995年から中継ぎとして1軍で活躍。1997年には先発ローテー
ションとして活躍した事もあり 8勝3セーブの好成績を挙げました。1999年の日本シリー
ズ第5戦でも先発登板を果たし、ダイエーの主力投手として君臨しました。
しかし2000年、 この年は開幕ローテーションに入るものの 結果を残せず、 以降実績を
挙げられないまま2003年にトレードで阪神タイガースへ。 その阪神でも1軍で結果を出
せず、2005年オフに戦力外通告を受けました。
その後 合同トライアウトを受け、 当時左不足が深刻だった横浜ベイスターズへ 入団しま
す。 横浜に入った最初の年の2006年こそ1軍で21試合に登板しましたが 思うような成
績を残せず、今年2007年は 1度も1軍で登板する事はありませんでした。 そして 10月
に戦力外通告を受けて 引退する事となりました。 プロ在籍13年。 1軍通算成績は 183
試合に登板して19勝24敗4セーブ、222奪三振、防御率4.67という内容でした。
佐久本投手、引退後は 来季からチームスタッフとして 打撃投手に転向することに なりま
した。 「ありがたかった。クビになって球界から去る選手が多い中、 野球に携われるのは
幸せ」と語る 佐久本投手。 心底、 野球が好きなんだと思います。 中学卒業で単身福岡
へ野球留学、そして 憧れのプロの世界へ進み1軍でも活躍しました。 ひたすら野球道を
追求し、夢を実現させた佐久本投手は 野球人として幸せだったと言えるでしょう。 表舞台
こそ離れましたが、 その野球への熱い思いで、今後の横浜ベイスターズ躍進に 大きく貢
献して行くでしょう。
------------------------------------------------------------------------
☆徳元敏投手
1976年9月20日生
身長、体重:179cm、86kg
投打:右投左打
球歴:糸満市・三和中-沖縄水産高-東京農大生産学部-オリックス-楽天
プロ入り年度、ドラフト順位:1999年、1998年ドラフト5位(オリックス・ブルーウェーブ)
1軍通算成績:148試合 6勝15敗2セーブ 128奪三振 投球回262.2 防御率4.93
プロ在籍期間:9年
名門・沖縄水産野球部出身の徳元投手ですが、意外と投手を始めたのは高校2年生にな
ってからでした。 経験の浅かった徳元投手は高校時代は控え投手のまま終わり、卒業後、
北海道網走市の東京農大生産学部へ進学してから 本格的に 投手として活躍し始めます。
大学では道六大学春季リーグで4連覇、全日本大学野球選手権にも出場しました。そして
1998年のドラフト会議で オリックス・ブルーウェーブから 5位指名を受け、 入団しました。
ちなみにその年、オリックスドラフト1位は沖水の後輩・新垣渚投手でした(入団拒否)。
その徳元投手、1軍での初勝利は入団3年目の2002年でした。そして2005年にオリック
スと近鉄が合併、パ・リーグに新球団の楽天ゴールデンイーグルスが誕生。その際に徳本
投手は分配ドラフトでオリックスから楽天へ移りました。
ボールの勢いで打ち取るタイプの徳元投手、 楽天では去年2006年に1軍で28試合に登
板し、3勝1敗、防御率1.37 の好成績を挙げました。 しかし 今年の10月2日戦力外通告
を受け、楽天を退団する事になりました。 プロ在籍9年。1軍通算成績は 148試合に登板
して6勝15敗2セーブ、128奪三振、防御率4.93という内容でした。
オリックス時代に故・仰木彬監督に「俺が死ぬまで坊主にしてろ!」と怒られて以来、現在ま
で坊主頭を続けるほど実直な徳元投手。 そのストレートな性格そのものの 強気な投球が
身上です。現在はトライアウト中で、まだまだ野球への意欲は衰えません。 もちろんトライ
アウトに合格して 新たな球団でプレーする事を強く願いますが、 例えプロ野球で無くても、
その真直ぐな思いで何処かで野球を続けて行く事でしょう。
------------------------------------------------------------------------
☆稲嶺誉選手
1980年10月21日生
身長、体重:167cm、64kg
投打:右投両打
球歴:糸満市・糸満中-沖縄水産高-東京農大生産学部-ダイエー/ソフトバンク
プロ入り年度、ドラフト順位:2003年、2002年ドラフト8巡目(福岡ダイエーホークス)
1軍通算成績:82試合 打率0.195(133打数26安打) 0本塁打 9打点 8盗塁
プロ在籍期間:5年
歌舞伎役者のようなキリッとした整った顔立ちと、小柄ながら元気一杯のプレーで沸かせ
てくれた稲嶺選手も、非常に印象深い選手の一人です。
沖縄水産高時代は、ソフトバンクで一緒だった新垣渚投手とチームメイトで、巧打のリー
ドオフマンとしてまた名遊撃手として、強豪・沖水を引っ張りました。当時の沖水は、九州
地区では 群を抜いて強く、 最終学年には 秋・春の九州大会を圧倒的な力で制しました。
春・夏の甲子園にも出場しましたが、2大会とも初戦敗退に終わりました。
高校卒業後は、 沖水の先輩・徳元投手と入れ違いで 北海道網走市の東京農大生産学
部に進み、1年生からレギュラーとして活躍し、全日本大学選手権にも4度出場しました。
道六大学リーグでは首位打者3回、通算打率.385、通算40盗塁。ベストナインにも6回
輝くなど輝かしい実績を残し、 2002年ドラフト会議で 福岡ダイエーホークスから8巡目
で指名を受け、プロの世界へ飛び込みました。
ダイエー入団初年度の2003年は、ルーキーながら度々1軍の試合に出場、日本シリー
ズに出場して 見事にヒットを打ちました。 入団以来左打ちでやってきた稲嶺選手ですが、
2005年には高校以来のスイッチヒッターに挑戦して、1軍でも結果を残しました。2006
年には再び左打ちに戻し、セ・パ交流戦で度々スタメン出場して活躍しました。 この年の
打率は1割9分6厘でしたが、西武とのプレーオフでは大事な場面で2度代打で起用され、
貴重な同点適時打も放ちました。
しかし2007年の今シーズンは1度も1軍の試合に出場する事は無く、10月27日に戦力
外通告を受け、プ ロ野球からの引退を決意しました。プロ在籍5年。 1軍通算成績は82
試合に出場して 通算打率1割9分5厘 (133打数26安打)、0本塁打、9打点 、8盗塁と
いう内容でした。
誰よりも練習熱心で、 いつもユニフォームが真黒になるまで練習に明け暮れた稲嶺選手
はチームメイトからの信頼も厚く、ファンからも大変愛されました。170㎝に満たない小さ
な体で トップレベルのプロの世界で頑張っていた稲嶺選手は、 多くの野球少年にも夢を
与えたと思います。
引退後は、 「野球だけはもうやりません」と語っていたという稲嶺選手。 きっと誰よりも努
力した分、完全燃焼するほど燃え尽きたのでしょう。 リトルファイター稲嶺選手の雄姿は
忘れません。彼の今後の人生が幸多きものになるよう強く願います。
------------------------------------------------------------------------
1967年9月21日生
身長、体重:192cm、90kg
投打:右投右打
球歴:浦添市・浦添中-興南高-大洋/横浜-西武-横浜-レッドソックスAAA-中日
プロ入り年度、ドラフト順位:1987年、1986年ドラフト1位(横浜大洋ホエールズ)
1軍通算成績:399試合 18勝29敗30セーブ 420奪三振 投球回441.2 防御率3.89
月間MVP:1回(1998年7月)
オールスターゲーム出場:1回(1998年)
プロ在籍期間:21年
1986年のドラフト会議で興南高から横浜大洋ホエールズの1位指名を受けて、プロ野球
の世界に飛び込んだデニー。日米両名持つ彼の当時の登録名は日本名「友利結」でした。
あれから21年。 見目麗しかった美少年も、逞しく厳ついベテランの野球選手になりました。
そして今年遂に引退となりました。
思えば デニー投手のプロ野球人生は 波乱に満ちたものでした。 入団1年目の 終盤こそ
1軍で先発登板を果たしましたが、その後 8年間は泣かず飛ばずで2軍暮らし。一時は支
配下登録外の 「練習生」に降格された事もあったほどでした。 ところが1995年に登録名
を「デニー友利」に変えてから運気が変わります。 その年の10月6日の阪神戦で、プロ9
年目にしてようやく初勝利。そして翌7日の中日戦ではプロ初セーブを挙げました。
そして迎えた1997年、 トレードで西武に移籍してから デニー投手の野球人生は劇的に
変化します。 同じサイドスローの鹿取や潮崎の助言を受けて、潜在能力が開花。セットア
ッパーとして チームにとって 不可欠な存在となりました。 1997年と1998年のリーグ優
勝に大きく貢献したデニー投手は、1998年には オールスターにも出場を果たしました。
また 2002年にはチームの選手会長を務めるまでになりました。2002年のオフには 再
びトレードで古巣の横浜に復帰。 2005年には、 38歳の高齢ながら ボストン・レッドソッ
クスにマイナー契約で入団。 しかしメジャーには昇格出来ませんでした。日本に戻った2
006年には 落合監督の計らいで中日と契約、 中日中継ぎ陣の精神的支柱としても大き
な役割を果たしました。 残念ながら 今シーズンは背筋痛の影響等で、ほとんど2軍暮ら
しとなり、シーズン終了前に戦力外通告を受けました。
振り返れば プロのユニフォームに袖を通して実に21年。 タフな肉体と 精神力で、 40歳
近くなっても 150kmのストレートを投げていた デニー投手。 1軍通算成績は 399試合
に登板して 18勝29敗 30セーブ、 420奪三振、 防御率3.89。 一流と呼べるような 実
績こそ 残せませんでしたが、 沖縄県出身のプロ野球選手で デニー投手ほど 記憶に残
った選手は いないのかも知れません。 21年という選手期間も、 沖縄出身プロ野球選手
の中では最長です。
10月4日には、 落合監督の粋な計らいで、 ナゴヤドームの最終戦に サヨナラ登板もさ
せてもらいました。 誰からも愛された デニー投手。 波乱万丈ではありましたが、幸せな
野球人生だったのでは ないでしょうか? 今後は どういう人生を歩むのか 知りませんが、
デニーの次のステージにも注目して応援し続けて行きたいと思います。
中日・デニー友利投手(投稿日:2007/03/05)
http://neogaia.ti-da.net/e1386106.html
------------------------------------------------------------------------
☆佐久本昌広投手
1974年7月15日生
身長、体重:175cm、80kg
投打:左投左打
球歴:読谷村・古堅中-久留米工大付高(現:祐誠高)-大和銀行-ダイエー-阪神-横浜
プロ入り年度、ドラフト順位:1995年、1994年ドラフト4位(福岡ダイエーホークス)
1軍通算成績:183試合 19勝24敗4セーブ 222奪三振 投球回335 防御率4.67
プロ在籍期間:13年
佐久本投手は読谷の古堅中から福岡県の久留米工大付高(現:祐誠高)へ進学。久留米
工大付高の金城清忠監督は 沖縄からPL学園に進んだ経験を持ち、将来を見越してあえ
て野球留学を選んだ佐久本投手にとって、その存在は大きな影響を与えた事でしょう。そ
して社会人の大和銀行へ進んで、その素質が大きく開花します。大和銀行時代は日本生
命の補強選手として都市対抗野球に出場。 そして 20歳の1994年にドラフト4位で福岡
ダイエーホークスから指名され、プロの世界へ進みました。
ダイエーでは1年目の1995年から中継ぎとして1軍で活躍。1997年には先発ローテー
ションとして活躍した事もあり 8勝3セーブの好成績を挙げました。1999年の日本シリー
ズ第5戦でも先発登板を果たし、ダイエーの主力投手として君臨しました。
しかし2000年、 この年は開幕ローテーションに入るものの 結果を残せず、 以降実績を
挙げられないまま2003年にトレードで阪神タイガースへ。 その阪神でも1軍で結果を出
せず、2005年オフに戦力外通告を受けました。
その後 合同トライアウトを受け、 当時左不足が深刻だった横浜ベイスターズへ 入団しま
す。 横浜に入った最初の年の2006年こそ1軍で21試合に登板しましたが 思うような成
績を残せず、今年2007年は 1度も1軍で登板する事はありませんでした。 そして 10月
に戦力外通告を受けて 引退する事となりました。 プロ在籍13年。 1軍通算成績は 183
試合に登板して19勝24敗4セーブ、222奪三振、防御率4.67という内容でした。
佐久本投手、引退後は 来季からチームスタッフとして 打撃投手に転向することに なりま
した。 「ありがたかった。クビになって球界から去る選手が多い中、 野球に携われるのは
幸せ」と語る 佐久本投手。 心底、 野球が好きなんだと思います。 中学卒業で単身福岡
へ野球留学、そして 憧れのプロの世界へ進み1軍でも活躍しました。 ひたすら野球道を
追求し、夢を実現させた佐久本投手は 野球人として幸せだったと言えるでしょう。 表舞台
こそ離れましたが、 その野球への熱い思いで、今後の横浜ベイスターズ躍進に 大きく貢
献して行くでしょう。
------------------------------------------------------------------------
☆徳元敏投手
1976年9月20日生
身長、体重:179cm、86kg
投打:右投左打
球歴:糸満市・三和中-沖縄水産高-東京農大生産学部-オリックス-楽天
プロ入り年度、ドラフト順位:1999年、1998年ドラフト5位(オリックス・ブルーウェーブ)
1軍通算成績:148試合 6勝15敗2セーブ 128奪三振 投球回262.2 防御率4.93
プロ在籍期間:9年
名門・沖縄水産野球部出身の徳元投手ですが、意外と投手を始めたのは高校2年生にな
ってからでした。 経験の浅かった徳元投手は高校時代は控え投手のまま終わり、卒業後、
北海道網走市の東京農大生産学部へ進学してから 本格的に 投手として活躍し始めます。
大学では道六大学春季リーグで4連覇、全日本大学野球選手権にも出場しました。そして
1998年のドラフト会議で オリックス・ブルーウェーブから 5位指名を受け、 入団しました。
ちなみにその年、オリックスドラフト1位は沖水の後輩・新垣渚投手でした(入団拒否)。
その徳元投手、1軍での初勝利は入団3年目の2002年でした。そして2005年にオリック
スと近鉄が合併、パ・リーグに新球団の楽天ゴールデンイーグルスが誕生。その際に徳本
投手は分配ドラフトでオリックスから楽天へ移りました。
ボールの勢いで打ち取るタイプの徳元投手、 楽天では去年2006年に1軍で28試合に登
板し、3勝1敗、防御率1.37 の好成績を挙げました。 しかし 今年の10月2日戦力外通告
を受け、楽天を退団する事になりました。 プロ在籍9年。1軍通算成績は 148試合に登板
して6勝15敗2セーブ、128奪三振、防御率4.93という内容でした。
オリックス時代に故・仰木彬監督に「俺が死ぬまで坊主にしてろ!」と怒られて以来、現在ま
で坊主頭を続けるほど実直な徳元投手。 そのストレートな性格そのものの 強気な投球が
身上です。現在はトライアウト中で、まだまだ野球への意欲は衰えません。 もちろんトライ
アウトに合格して 新たな球団でプレーする事を強く願いますが、 例えプロ野球で無くても、
その真直ぐな思いで何処かで野球を続けて行く事でしょう。
------------------------------------------------------------------------
☆稲嶺誉選手
1980年10月21日生
身長、体重:167cm、64kg
投打:右投両打
球歴:糸満市・糸満中-沖縄水産高-東京農大生産学部-ダイエー/ソフトバンク
プロ入り年度、ドラフト順位:2003年、2002年ドラフト8巡目(福岡ダイエーホークス)
1軍通算成績:82試合 打率0.195(133打数26安打) 0本塁打 9打点 8盗塁
プロ在籍期間:5年
歌舞伎役者のようなキリッとした整った顔立ちと、小柄ながら元気一杯のプレーで沸かせ
てくれた稲嶺選手も、非常に印象深い選手の一人です。
沖縄水産高時代は、ソフトバンクで一緒だった新垣渚投手とチームメイトで、巧打のリー
ドオフマンとしてまた名遊撃手として、強豪・沖水を引っ張りました。当時の沖水は、九州
地区では 群を抜いて強く、 最終学年には 秋・春の九州大会を圧倒的な力で制しました。
春・夏の甲子園にも出場しましたが、2大会とも初戦敗退に終わりました。
高校卒業後は、 沖水の先輩・徳元投手と入れ違いで 北海道網走市の東京農大生産学
部に進み、1年生からレギュラーとして活躍し、全日本大学選手権にも4度出場しました。
道六大学リーグでは首位打者3回、通算打率.385、通算40盗塁。ベストナインにも6回
輝くなど輝かしい実績を残し、 2002年ドラフト会議で 福岡ダイエーホークスから8巡目
で指名を受け、プロの世界へ飛び込みました。
ダイエー入団初年度の2003年は、ルーキーながら度々1軍の試合に出場、日本シリー
ズに出場して 見事にヒットを打ちました。 入団以来左打ちでやってきた稲嶺選手ですが、
2005年には高校以来のスイッチヒッターに挑戦して、1軍でも結果を残しました。2006
年には再び左打ちに戻し、セ・パ交流戦で度々スタメン出場して活躍しました。 この年の
打率は1割9分6厘でしたが、西武とのプレーオフでは大事な場面で2度代打で起用され、
貴重な同点適時打も放ちました。
しかし2007年の今シーズンは1度も1軍の試合に出場する事は無く、10月27日に戦力
外通告を受け、プ ロ野球からの引退を決意しました。プロ在籍5年。 1軍通算成績は82
試合に出場して 通算打率1割9分5厘 (133打数26安打)、0本塁打、9打点 、8盗塁と
いう内容でした。
誰よりも練習熱心で、 いつもユニフォームが真黒になるまで練習に明け暮れた稲嶺選手
はチームメイトからの信頼も厚く、ファンからも大変愛されました。170㎝に満たない小さ
な体で トップレベルのプロの世界で頑張っていた稲嶺選手は、 多くの野球少年にも夢を
与えたと思います。
引退後は、 「野球だけはもうやりません」と語っていたという稲嶺選手。 きっと誰よりも努
力した分、完全燃焼するほど燃え尽きたのでしょう。 リトルファイター稲嶺選手の雄姿は
忘れません。彼の今後の人生が幸多きものになるよう強く願います。
------------------------------------------------------------------------
Posted by neogaia at 01:40
│沖縄出身プロ