2007年03月07日

友寄正人セ・リーグ審判部副部長

浦添市民球場


プレー支える的確な判断へ 

30年目のベテラン、友寄正人セ・リーグ審判部副部長(小禄高―沖縄国際大―78年から
セ審判員)をクローズアップ。


◆今季中の2500試合出場目標/友寄正人審判員

友寄は昨季、12度目となる日本シリーズの舞台にも立ち、第1戦の球審を務めた。「審判
員なら誰もが目指す目標。緊張感が1週間に凝縮されるし、ミスをすると審判生命にもかか
わる」というプレッシャーの中、「シーズンと変わらない気持ちで立てた」と、いつもと同じ精神
状態を保ち、冷静なジャッジで大役を果たした。

12月、1月は審判もオフ期間だが、「シーズンを通した体力づくりのために大事な時期」と、
審判員たちは各自ジムに通ってトレーニング。1月下旬からは関西勤務の審判員は甲子園
に、東京勤務の審判員は神宮に集まり、キャンプインに向けて合同練習する。

春季キャンプでは審判部副部長として各チームを回っている友寄。審判にとってのキャン
プの目的を「感覚を取り戻し、知識を入れること」と説明する。ブルペンに立ってストライクゾ
ーンを再確認。同時に投手のくせを頭に入れる。

打撃練習ではケージの中にも入る。ファウルチップなどへの恐怖感をなくすことに加え、打
者が打席でどの位置に立つのか、フォームやグリップの余らせ方などをチェック。そうするこ
とで、目の錯覚に惑わされない明確なストライクゾーンやファウルかデッドボールかを的確に
判断できる力をつけていく。

友寄はあと101試合で2500試合出場を達成する。通常、審判は年間100試合出れば多
い方というが、友寄は「ケガ、病気のないように、1年を通して仕事をして、ぜひ今シーズン中
に達成したい」と意欲を見せている。

[2月16日 / 琉球新報朝刊より抜粋]


------------------------------------------------------------------------

友寄正人。審判員袖番号22。

小禄高校から沖縄国際大学を経てビル・キナモン審判学校を卒業。そして沖縄県出身審判
員第一号となった時、彼はまだ19歳でした。
1978年よりセ・リーグ審判員で、1980年には22歳という若さで1軍デビューを果たします。
1987年にはオールスターに初出場し、第3戦では球審( 阪神甲子園球場 )を務めました。
1992年には日本シリーズの初舞台を踏み、第3戦の球審を務めます。そして2003年には、
異例の速さで副部長に昇進します。

2006年シーズン終了時までの通算試合出場数は2399、オールスター5回、日本シリーズ
12回出場。それぞれ重要な試合で球審を務めるなど、審判としての実力は国内トップクラス
です。

友寄さんのおもしろいところは、硬式野球の経験が無いにも関わらず若い頃から審判に興味
を持っていたことです。小禄高校時代に沖縄県高野連に審判志願し、大学生の時には高校
野球沖縄県大会の審判員を任されるほどでした。

私が中学1.2年の頃に神原中とよく試合をしましたが、そこの監督をしていたのが、まだ大学
生の友寄さんでした。長身の青年が大声で身振り手振りで指導していた姿がとても印象に残
っています。確かその時の教え子は、3.4名ほど興南高から甲子園にも出場しています。

時々テレビで観ても、当時と全く変わらない若々しさに驚かされます。ビシッと伸びた背筋に、
プロ野球選手にも負けない体格。星野仙一氏が中日の監督をしていた頃は、よく怒鳴りあっ
ていましたが、燃える闘将にも一歩も引けを取らない、堂々たる審判ぶりは強烈でした。

偉大なる沖縄野球人「名審判・友寄正人」。その名はきっと、後世に語り継がれる事でしょう。







この記事へのトラックバックURL

http://neogaia.ti-da.net/t1387800
上の画像に書かれている文字を入力して下さい